【Chapter97】仕事で活かせる歴史の偉人名言集!戦国武将編
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群雄割拠の戦国時代では戦国武将達が自分の領土を広げるため生きるか死ぬかの戦いを行なっていました。
現代の世の中でも実際に命を落とすことはなくなりましたが、基本的な構造は戦国時代と変わっておらず今も戦後武将(企業)が戦いを行い領土(シェア)を奪い合っている状況です。
そんな中で今回の内容としては既に群雄割拠の時代を生き抜いて来た戦国武将の名言をまとめていく中で現代の時代を生き抜く知恵や考え方があるのではないかと思いました。
今の時代に合った仕事で活かせる名言を中心にまとめさせていただきましたので歴史好きな方などぜひご覧ください。
早速紹介していきます。
前提条件
今回は戦国武将というくくりにしておりますので基本的には戦国時代が始まったとされている応仁の乱(1467年)から豊臣秀吉が小田原征伐で全国統一をした1590年までに活躍した武将を入れております。
戦国武将の中でも戦国大名やその家臣まで様々いますが特に区別することなく一括りにして紹介しております。
特に今回は始めて行うので有名な戦国武将を中心に選んで行こうと思います。
基本的には仕事で活かせる考え方を中心に抽出していければと思いますのでよろしくお願いします。
織田信長
尾張(現在の愛知西部)で1534年〜1582年にかけて活躍した戦国大名。
1534年に織田信秀の嫡男として生まれ、青年時まで奇妙な行動が多く周囲から尾張大うつけ(大馬鹿者)と呼ばれていた。
そこから持ち前の先見の明と行動力で1560年の桶狭間の戦いで今川義元を討ち取って以降天下統一に向けて動き出したが1582年に京の本願寺で重臣の明智光秀の謀反によって自害に追い込まれた人物。
時代の先駆者や風雲児の印象が強いですがどのような考えの元行動していたのか名言から読み取っていきたいと思います。
名言集
・生まれながらに才能のあるものは、それに頼んで鍛錬を怠る自惚れる。
しかし、生まれつき才能がない者は何かと技術を身につけようと日々努力する。
心構えがまるで違う。これが大事だ。
→今でこそ生涯学習という言葉が当たり前になっておりましたがこの当時から学ぶ姿勢がない者には将来的に差がでることを示唆する発言となっております。
才能があるに越したことはないですが、やはりその後の努力がさらに重要になってくるのでしょう。
・臆病者の目には敵は常に大軍に見える
→自信がないと何事も不安に思ってしまいますが、まずは気持ちの面で負けないことが大切になって来ますね。
・仕事は探してやるものだ。自分で作り出すものだ。与えられて仕事をやるのは雑兵だ。
→個人的に一番共感した名言です。この言葉こそ今の時代とも合っているのではないでしょうか。
いつまでも会社の言いなりで働くのではなく主体性を持って働かなければ成長はないってことですね。
・組織に貢献してくれるのは優秀な者よりも能力は並の上だが忠実な者の方だ。
→何度も裏切りに合った信長だからこその言葉でしょうか。
長期的にみて組織に利益をもたらしてくれるのは長く忠実に働いてくれる人。
むしろ優秀な人の方が独立もあるので脅威となる可能性もありますよね。
以上となっております。
徳川家康
三河(現在の愛知県岡崎市)出身で1543年〜1616年にかけて活躍した戦国大名。
1543年に松平広忠の嫡男として生まれ、4歳の頃から今川家や織田家の人質となるが17歳の時に今川義元が織田信長に討たれ、そこから独立し織田信長と同盟を結ぶ。
その後、本能寺の変以降は豊臣秀吉に仕え秀吉没後に関ヶ原の戦いで勝利し江戸に幕府を開く。
60歳で将軍になったことから苦労人のイメージが強いですが、その原動力となった名言をまとめていきたいと思います。
名言集
・家臣を扱うには、禄で縛り付けてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、怒れさせてはならず、油断させてはならないものよ。
→1番身近な人物を扱うことが1番難しいことを表しております。
親しき仲でも常に緊張感を持って接しなければ裏切りが日常的に起きていた時代で部下を掌握することはできなかったのでしょう。
・決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。
→戦いにしても仕事にしても事前の準備がその後の結果に大きく影響して来ます。
特に現代では様々な情報が入り混じっているのでその情報を精査することが1番重要になりますね。
・戦いでは強いものが勝つ。辛抱強いものが。
→徳川家康を象徴とするような言葉です。
自分が勝てるタイミングまで辛抱して待つ。上記でもありましたがそれまでの準備が非常に重要になってくるのでしょう。
自分の行動をコントロールできたからこそ60歳にして頂点に立てた原動力だと思います。
以上になります。
武田信玄
甲斐(現在の山梨県)出身で1521年〜1573年に活躍した戦国大名。
1521年に武田信虎の嫡男として生まれ、1541年20歳の時に父・信虎を追放し家督を相続。
1553年から上杉謙信と北信濃の支配権を巡る川中島の戦いが有名(計5回)
1572年に三方ケ原の戦いで徳川家康に勝利したが持病が悪化し翌年に51年の生涯を閉じた。
あの織田信長も恐れた戦の天才ですが、その地位に立てた理由などを名言から探っていきたいと思います。
名言集
・晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく民百姓を安楽にするためだと民に報せればわしが群を進めるのを待ち望むようになる。
→この発言からも掌握術に非常に長けている人物だということがわかります。
大義面分を変えるだけで同じ行動でも違った見方をすることが出来るので優秀なリーダーなどはこのように視点を変える発言が上手な印象です。
・勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。
→欲に溺れて必要のないところまで手を出してしまうと今後大失敗する可能性があることを示唆しております。
有名な経営者でもM&Aをし過ぎて身を滅ぼしてしまうこともあるので必要以上のものを手にすることはそれだけリスクも上昇してしまいます。
・三度ものを言って、三度言葉が変わる人間は嘘をつく人間である。
→何を持って人を信じるのかを追求していけばやはり自分の軸がある人になっていくのではないでしょうか。
信念がある人は信用ができるということなのでしょう。
以上になります。
上杉謙信
越後(現在の新潟県)出身で1530年〜1578年に活躍した戦国大名。
1530年に長尾為景の四男として生まれるも、1561年31歳の時に上杉憲政の養子となり上杉政虎と改名。
その後関東管領を引き継ぎ、最終的に上杉輝虎と名乗ったがよく耳にする謙信という名前は晩年の1570年に名乗った名前である。
戦の神、「軍神」と呼ばれただけでなく越後を産業で復興させた人物でライバルである武田信玄が窮地の際には塩を送った仁義の人物ですがそのルーツを名言から読み解いていきます。
名言集
・人の落ち目を見て攻め取るは本意ならぬことなり。
→今の時代だと倫理というものがあり、この説明でも納得いきますが当時は倫理もなくむしろチャンスと思うのが普通だったと思います。
その中でこのような考え方が出来ているのはやはり器の大きさが物語っているのでしょう。
・戦場の働きは武士として当然のことだ。戦場の働きばかりで知行を多く与え、人の長としてはならない。
→これも現代に置き換えても当てはまるのではないでしょうか。
現場では数字がよく会社の評価が高い人間であってもそのことだけでマネージャーになるとは限りません。
リーダーとして、またその人の適性を見て出世していくので実力より人間性をみていたことが想像できます。
・人の上に立つ対象となるべき人間の一言は深き思慮を持ってなすべきだ。軽率なことを言ってはならぬ。
→特にトップの言葉で左右されやすい時代なのでそのトップが軽はずみな発言をすれば必ず混乱してしまいます。
上に立つ人間ほどよく考えて発言すべきという点は現代の政治家にも言いたい一言ですね。
以上となっております。
まとめ
今回は仕事で活かせる戦国武将の名言集をまとめさせていただきました。
戦国時代に非常に活躍した戦国武将を中心に選ばせていただきましたが、人それぞれ考えた方に違いがあり成功する考え方の答えは1つではないのだと改めて実感しました。
特に現在の社会とも精通するところがあり、500年前からでもこうあるべきという行動の指針は決まっていたのだと感じました。
ただ、上記で説明した考え方や行動をすれば誰でも成功できるものではありません。
その中で自分にあった考え方や行動を選んでいくことで成功する確率は上がってくると思いますので引き続き名言集をまとめてその引き出しを多く持てるようにしましょう。